デス・オーバチュア
第220話「天魔の翡翠〜後編〜」



ノワールは森を散策していた。
「やはり、自力で森から出るのは無理か……」
無窮の森は、ラピスの住居以外何もなく、ただ森だけが果てしなく続いている。
現在位置をなんとか感覚で把握し、迷子にならないようにするのが精一杯だった。
「諦めが悪いわね、ノワール」
空から女の声が聞こえてくる。
ノワールの上空にラピスが浮かんでいた。
青い翼が羽ばたく度に、微かな燐光を放つ。
「……試すのは自由なのだろう?」
「確かに自由にしていいって言ったけど……そんなに、私と一緒にいるのが嫌なの?
私が嫌い?」
ラピスは哀しげな表情をする。
「別にそういうわけじゃない。ただ、僕が休息するのは兄上を倒してからだ。それまでは……」
ノワールはこの森の居心地が悪いわけではない。
寧ろ、その逆である。
だからこそ、この森には長居したくなかった。
穏やかで安らぎに満ちた時間が、憎しみの刃を錆びつかせる前に……立ち去らなければ……。
「ノワール……後三日だけ待って。三日間だけでいいから傍に居て欲しいの」
「なぜ、そうまで僕を引き止める?」
ラピスは小鳥のように、木の枝の上に降り立った。
「……一人は寂しいの……」
「だが、三日後には僕は居なくなる……今居なくなっても同じことだろう? それに、今まではずっと一人で暮らしてこれたのだろう?」
天魔族の少女は翼をまるめて縮こまっている。
心なしか震えているかのようだった。
「あなたが来るまでは、一人が当たり前だった……だから、寂しさを感じることも殆どなかった。でも、あなたと出会って、一人の寂しさを知ってしまった……思いだしてしまった……もう一人に戻るのは嫌なの……」
「…………」
「……解っている、三日後にあなたを外に送る約束は絶対に守るわ。だけど、それまでは……後三日だけは……」
「情が移れば移るだけ別れにくくなるだけだ……」
「もう遅いわよ! 初めて会った時から……一目惚れかな。あなた年下なのにね……」
ラピスはどこか寂しげな笑みを浮かべている。
「ラピス……僕は……」
「何も言わないで。ただ一緒に居てくれるだけでいいから」
「……解った。ラピス、部屋に戻ろうか」
「ありがとう、ノワール」



一週間だけあなたの時間を私に頂戴。
ラピスの願いはただそれだけだった。
とてもささやかな願い。
姉弟のような、恋人のような穏やかで微かに甘い生活だった。
そして、二人の時間はアッと言う間に過ぎていく……。

森の洞窟の奧に、ラピスの部屋はあった。
部屋は洞窟の中とは思えない程、綺麗でちゃんとした内装をしている。
「明日だな」
「ええ……約束は守るわ……」
ノワールとラピスは同じベッドで横になっていた。
「すまない。僕はどうしても、憎しみを捨てられない」
「解っているわ……ただ、一つ約束して欲しいことがあるの」
「可能なことなら……」
「死に急がないで……復讐を果たすために自分の身を引き替えにすることだけはやめて……」
「解った、約束する。復讐を果たしたら、ここにもう一度来る。今度は偶然ではなく、自分の意志で……」
「約束ね。守ってよ、いつになってもいいから……ずうっと待っているから……」
ラピスとノワールは向き合ったまま、いつの間にか眠りに落ちていった。



翌朝、ノワールはラピスに案内されて森を歩いていた。
「循環端無きが如し……この森は空間を歪めて端と端を繋げているの。つまり、森の右端に辿り着けば、森の左端に出るようになっているのよ」
「では、どうやって出る?」
「空間の境目で、一瞬だけ循環を断ち切って、外へと繋げてあげるわ。私の魔力でね」
「そうか……」
会話がなくなると、二人は無言で目的地に向かって歩き続ける。
「着いたわ」
「ここが?」
何の変哲もない場所だった。
さっきまでの景色と変わった所は何もない。
「あと三歩ほど前に進むと、森の左端に出るわ。つまり、ここが森の右端ってわけよ」
ラピスは前方を指差しながら言った。
「世話になったな……」
「本当に行くの?……ううん、ごめんなさい、未練がましいわよね。約束、忘れないでね……」
ラピスは哀しげだが微笑んで見せる。
「君は哀しそうな顔はよくするが、一度も泣かなかった……強い人だ……」
ノワールの言葉に、ラピスは首を横に振った。
「強いわけじゃないわ。ただ、泣くのは嫌なの。涙は相手を縛ることになるから……だから、笑って見送るわ」
言葉通り、涙を堪えて優しげな笑顔を浮かべる。
「ありがとう、ラピス」
「ノワー……」
いきなり虚空から生じた不自然な音が、ラピスの言葉を遮った。
「なんだ!?」
「嘘……外の世界から、この世界に無理矢理道を開くなんて……」
ラピスには今の音が何なのか解ったのだろう。
しかし、その事実を素直に認めることができなかった。
「普通はできんだろうな」
第三者の声が聞こえてくるまでは。
声の主はゆっくりと二人の上空に姿を現した。
漆黒の長い髪、闇色の瞳、背の高い細身の男。
「ルヴィーラ兄上!?」
長髪の男は、ノワールがこの世でもっとも憎む存在、彼の兄にしてルーヴェ帝国現皇帝ルヴィーラ・フォン・ルーヴェだった。
「久しぶりだな、可愛い弟よ」
ルヴィーラは意地の悪い笑みを弟に向ける。
「ルヴィーラ……」
ノワールは憎しみに満ちた視線を兄へと返した。
「なぜ、この場所が解ったの? それにどうやって結界を?」
尋ねたのはラピスである。
「私はずうっとお前を見ていた。ノワール、お前がもがき苦しみ続ける様を、私に憎しみの炎を燃やす姿をな」
ラピスなど眼中にないのか、ルヴィーラの視線はノワールだけに向けられていた。
「そして、お前を見ていたら、お前がこんな空間の歪んだ場所に迷い込んでしまったではないか。お前にここで静かに暮らされたりしたら、私の楽しみが一つ減ってしまう……」
「兄上!」
ノワールは飛び上がるなり、ルヴィーラに右拳を叩き込もうとする。
だが、右拳はルヴィーラの左掌にあっさりと受け止められてしまった。
「再会の挨拶が拳か? まあ、私もお前に、私を殺すチャンスをやろうと思って、来てやったのだがな……」
「ふざけるな!」
右拳を掴まれたまま、逆の拳で殴ろうとしたが、それよりも速くルヴィーラの杖がノワールの左肩を刺し貫く。
「ノワール、素手で私を倒せるわけがあるまい。少しは学習したらどうだ」
ルヴィーラは引き抜いた杖でノワールを一閃し、地上へと叩き落とした。
「ぐぅつ!」
「ノワール!」
駈け寄ろうとしたラピスと、地上に叩きつけられたノワールの間に、遮るようにルヴィーラは降り立つ。
「ふん、ラピスだったな。天魔族とは珍しい珍獣が生き残っていたものだ」
ルヴィーラはラピスに近づくと、左手を伸ばし彼女の頬を撫でた。
「ひぃ……っ」
ラピスは蛇に睨まれた蛙のように身動きできず、ただ、顔に嫌悪と恐怖を浮かべている。
「……私を殺すの?」
震える声で、それだけ口にした。
「さて、どうするかな? お前を殺す理由はないが、お前を目の前で引き裂いた時のノワールの反応には興味がある」
ルヴィーラの左手が、ラピスの前髪を掻き上げ、額の翡翠に指を這わせる。
「美しいな……エメラルドやダイヤモンドよりも美しく感じる。生きた宝石、お前の命そのもの輝きだからか」
「うっ……」
額の翡翠を触られる度に悪寒と吐き気が増していった。
「ふむ、体の一部であるはずなのに、簡単に外れそうだな……試してみるか?」
ラピスはビクリッと震えた。
天満の翡翠は簡単には外れない。
だが、外れないわけではない、そして、外れた瞬間ラピスの命も終わるのだ。
人間で言えば、体から心臓を剔り取られるようなものである。
「天満の翡翠……天魔族の核(命)、力の塊(結晶)か。コレクションにはいいかもしれん」
ルヴィーラは翡翠にかけていた指に力を込めようとした。
「やめろおおおっ!」
「フッ……」
翡翠から指を離すと、微笑を浮かべて、声の主を振り返る。
「ノワール、大人しく寝ていろ。後で体も『治して』から解放してやる」
「なぜだ!? なぜ、僕を殺さない! 僕は生きている限り、兄上を憎む! 兄上の命を狙い続けるぞ!」
ノワールはふらつきながらも兄を睨む。
ルヴィーラは楽しげに答えた。
「だから、お前は生かしておくのだ。お前が私に向ける憎しみが心地よい……たった一人の肉親に激しく憎まれることが心底楽しくて仕方ないのだよ」
「そんな理由で……兄上は狂っている……!」
理由にするなっていない気がする。
ノワールにはルヴィーラが理解できなかった。
ただ、兄に対する憎しみだけが高まっていく。
「お前には理解できまい、私のこの気持ちは……普通の人間が他者に愛されたいと望むように、私は他人に憎まれたいのだよ」
見た目は理性的に見えるが、ルヴィーラの内面は歪みきって、もはや狂っているとしかノワールには思えなかった。
「憎まれたいから、他人を苦しめ弄ぶと言うのか!? 貴様は!?」
「実の兄に貴様呼ばわりはないだろう。礼儀を忘れたか?」
ルヴィーラは、心底愉しげな笑みを口元に浮かべている。
「貴様に払う礼儀などない!」
弟の発言に口元の笑みをさらに深めると、視線をラピスへと移した。
「ところで、余程天魔族の女が気に入ったようだな……今、お前の目の前で散らしてやろう」
「やめろっ!」
「フッ、元気のいいことだ」
ルヴィーラはノワールに向き直ると、右手の杖を振り下ろす。
ノワールは杖を右手で弾くと、左拳をルヴィーラの胸に叩き込んだ。
「ほう、やればできるじゃないか」
だが、ルヴィーラは痛みを感じた様子もなく、満足げに微笑んでいる。
「かああああっ!」
ノワールは咆吼をあげると、ルヴィーラに続けざまに拳を叩きつけた。
「…………」
ルヴィーラはしばらくノワールのなすがままに殴らせた後、ノワールを空高く蹴り上げる。
「ぐうっ!」
「少しは強くなったな。いや、女を……大切な物を守るために限界を超えて引き出された力か? 実に馬鹿馬鹿しいが面白い……それほどまでに、この女が気に入ったか?」
ルヴィーラはラピスを値踏みするように注視する。
「なるほど、優しそうで儚げなところが、母上に似ていなくもない」
「えっ!?」
ラピスが驚きの声をあげた。
「容姿というより、雰囲気が良く似ている。大人の女性の優しさと少女のような無邪気さを感じさせる雰囲気がな……」
ルヴィーラの左手がラピスの頬や髪を撫でる。
「や、やめて……」
「フッ、私に触られても嫌悪しか感じないか? いいだろう、楽にしてやる」
左手が、ラピスの額の翡翠をへと伸ばされた。
「兄上!」
ノワールがルヴィーラに突進するような勢いで殴りかかってくる。
その一撃を、ルヴィーラはひらりとかわした。
かわされて勢いの止まらぬノワールは、ラピスを押し倒すような形で倒れ込む。
「ノワール!」
ラピスはノワールを庇うように上下を入れ替えた。
ルヴィーラはその様子を見て呆れたように嘆息する。
「会って間もないというのに……そこまで庇い合うか……」
常に愉しげな薄笑みを浮かべていたルヴィーラから一切の表情(感情)が消えた。
「いいだろう……お前にはもっと長く楽しませてもらおうと思っていたが……終わりにしてやる、二人一緒にな!」
ルヴィーラの左手に赤い炎が生まれた。
「灰一つ残さず灼き尽くしてやろう……残るのは翡翠だけかな?」
赤い炎が激しさを増していく。
「……離れろ……ラピス……君だけでも逃げ……」
「ノワール……このまま二人一緒に灼き尽くされても私は構わないわ……でも、駄目……あなたは私の分まで精一杯生きてね……」
「何を……?」
バサリ、とラピスの青い翼がノワールを包み込んだ。
「馬鹿な!? ラピス!?」
ラピスは優しく微笑む。
額から血を流しながら、今までで最高の笑顔を浮かべていた。
「……これを……翡翠(私)を貰ってくれる……?」
彼女の両手の上には、一瞬前までその額で輝いてたはずの翡翠がある。
「死ぬぞ、早く戻せ!」
「駄目よ……一度外したらもう戻らないわ……この翡翠は私の全て……力、命……そして、あなたへの想いの結晶……大事にして……ね……ぇ……」
ラピスは静かに瞳を閉じた。
「ラピス!?」
翡翠がノワールの額に吸い込まれていく。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
ノワールの絶叫と共に、翡翠色の光輝が彼を包み込んだ。
「ほう……」
ルヴィーラは感嘆の声をあげる。
翡翠色の光輝が消えた後には、背中に青い翼を生やしたノワールが立っていた。
「兄上……」
「天魔族の力を取り込んだのか」
「僕は今の自分の感情を表現できない……兄上への怒りも憎しみも消えたわけじゃない……でも、それ以上に自分自身への怒りや憎しみが僕を支配している……」
ノワールは静かな足取りでゆっくりと兄へと近づいていく。
「感情は高まりすぎると妙に落ち着くものだ」
ルヴィーラは赤い炎を球体にすると、ノワールに向けて投げつけた。
火球は青き翼の羽ばたきで、跡形もなく掻き消される。
ノワールはそのままルヴィーラに向かって飛翔した。


ノワールの右腕がルヴィーラの左胸を刺し貫いていた。
ルヴィーラは満足げな笑みを浮かべている。
「やればできるではないか……どうだ、肉親を殺すなど簡単なことだろう?」
血を吐きながらも愉快そうに言った。
「…………」
「嘘もつければ、親兄弟も殺せる……それが人間という生き物だ……完全な善にも、完全な悪にもなれない不完全で半端な存在……」
「……貴様を殺せたのに喜びも開放感もない。寧ろ……」
「クックックッ……復讐などそういうものだ。成し遂げた後こそ、悪夢に苛まれる。何より……お前は今、私より自分自身を憎んでいる……これから、お前がどうやって生きていくのか……見届けられないのが実に残念だ……」
ルヴィーラの顔から血の気が……生気が急速に消えていく。
「ノワール……私は父も母も嫌いだったが……お前だけは少しは気に入っていたよ……だからこそ……」
「……いまさら、何も言うな!」
「確かにいまさらだな……ぐうっ!」
ルヴィーラが血を吐きながら力を込めた瞬間、ルヴィーラの体が青い炎に包まれた。
青い炎は一瞬でルヴィーラの全てを灼き尽くす。 
「この世に何も残さないか、兄上らしい……もっとも何も残っていないのは僕も一緒か……僕に残ったのはこの翼と翡翠、天魔の力だけ……」
ノワールは髪を掻き上げた。
少年の額には美しい翡翠色の宝石が輝いている。
ラピスがノワールに託した彼女の力と命と想いの結晶だった。
「……もう生きている理由など何もない……それでも生きなければ……君に貰った力……命で……」
ノワールは青い翼を羽ばたかせ、外の世界へと飛び去る。
あとにはただ、数枚の青い羽だけが舞っていた。



これは蛇足。
歴史の記録にも、物語の主役たるノワールの記憶にもないことだ。

白と銀を基本とした王族のような豪奢な衣装を着こなした、漆黒の長髪と瞳の男が玉座に座っていた。
「フッ……クックックッ、アハハハハハハハハハハハハハッ!」
玉座に座っていた男は突然、狂ったように高笑いを上げて立ち上がる。
「お館様?」
男の左横には、水色の長い髪の美女が控えていた。
漆黒のドレスを纏った水色の美女は、なぜか両目を常に瞑っている。
「……私を殺せるまでに成長したか……生かしておいた甲斐がったな」
「…………」
「実に楽しめた……褒美にしばらく『自由』をくれてやるか……」
男は、ノワールに殺されたはずの皇帝ルヴィーラ・フォン・ルーヴェだった。
玉座の横に控えていた水色の美女の名はアトロポス、彼の従者にして剣である運命の神剣トゥールフレイムである。
「自由ですか……?」
「そうだ。復讐の相手も、愛する者もいない……空虚な世界で自らだけを呪って生きるがいいさ」
「…………」
我が主は、どこまでも悪趣味で意地悪な御方だ。
放置している間も、弟君を苦しめるのを忘れないのだから。
「さて、暇潰しの遊びは終わりだ。もっと派手な戦争(遊び)を始めるとしよう」
そう言うと、皇帝は玉座に座り直した。
「はい、お館様。どの国から滅ぼしましょうか?」
優しさや甘さといった温もりを一切持たない冷たき女神が、微かに楽しげに嗤う。
ルヴィーラは皇帝としての執務(遊び)を再開した。



「…………」
ノワールは夢(過去の記憶)から目を覚ました。
「お目覚めですか、ノワールさん?」
目覚めたノワールが最初に見たのは、オリーブグリーンの髪と瞳をした少女の優しい笑顔。
「ベリドット……」
「はい」
名前を呼ばれて、ノワールを膝枕していたメイドの少女は笑みを深めた。
オリーブグリーン……オリーブ色よりやや緑みの強い暗緑黄色の髪は、腰元までの長さのツインテールに黒いリボンで纏められている。
髪と同じ色のパッチリとした瞳、額にはオリーブグリーンな逆三角形の小さな宝石……彼女の名前の由来であるベリドットが埋め込まれていた。
年齢は解りにくく、13〜15の愛らしく幼い少女のようにも、18〜20の落ち着いた大人な女性にも見える。
まだ汚れを知らない少女の可憐さと、優しく包み込むような母性……慈愛をたたえた笑顔をしていた。
つまり、幼く可憐な容姿ながらも、甘える子供ではなく、甘えさせてくれる母か姉のような雰囲気を醸し出しているのである。
着ているメイド服は……深緑のワンピースと白のフリルエプロンで構成されていた。
深緑のワンピースはビスチェ型で、フリルエプロンを上に羽織っていなかったら、胸元と両肩を大胆に露出していたことだろう。
スカート丈は下着を辛うじて隠す程度しかなく、しかも左右にスリットがあった。
流石にスカートのスリットは風などで完全にめくれてしまわないように、黒布で編み止められてはいる。
二の腕(肩から肘までの間の部分)には、ワンピースと同じ色の布というか、ワンピースが半袖だったらそこにあるはずのフリル付きの『袖』があった。
白のフリルエプロンは、鎧の肩当てのような大きなフリルが目を引く。
首には黒のリボンが蝶結びされており、腰にも黒い大きな帯が巻かれて背中で蝶結びにされていた。
ソックスの類はなく、生足に直接白いロングブーツを履いている。
メイドの証であるヘッドドレスもちゃんと装備されてはいるが、ツインテール……そして、鋭く尖った両耳の方が明らかに目立っていた。
「……ベリドット……僕は自分の両手を枕に寝ていたはずなのだが……」
ノワールはオリーブグリーンのエルフメイドに、『なぜ、君に膝枕されている?』といった疑問を込めた眼差しを向ける。
「はい、ノワールさんがうなされていたので、枕が悪いのかと思いまして〜」
ベリドットは、答えになっているようななっていないような返答をした。
「ちっ……」
舌打ちをして、ノワールは立ち上がる。
「あ、別に、『僕も平和ボケしたか』とか気にすることはありませんよ。私には元々気配なんてありませんから……」
ベリドットがノワールの心情を読んだかのように言った。
「…………」
ノワールは凄く嫌そうな表情を浮かべる。
このメイド(下女)は苦手だ。
無力に等しい存在のくせに、ノワールの全てを見透かし、優しく見守るような……まるで母か姉のような態度をとる。
見透かされるのも、慈しむような眼差しを向けられるのも凄く不愉快だった。
「あ、瑠璃様」
「ああ、やっぱりノワールのところに居たんだ」
木々の間から、ちっちゃな女の子が姿を現す。
ちっちゃな女の子は、黒のスウェットジップアップパーカ(フードつきのゆったりしたジャケット)にスパッツ、黒のスニーカーにアンクルソックスといった、実にスポーティー(軽快で活動的)なファッションをしていた。
「瑠璃……」
「んっ……?」
瑠璃と呼ばれた女の子は、フードを下ろす。
襟首の所で扇状(内側に向かって長く)に綺麗に切り揃えられた黒髪のボブカット、髪と同じ綺麗な黒玉のパッチリとした瞳、髪と瞳の黒を引き立てる象牙のように白い肌が露わになった。
顔立ちはとても幼く十歳にも満たないように見えるが、同時に妙にしっかりとしているような印象も受ける。
小さいのに利発げな女の子……瑠璃の額には、長円形の群青色の美しい宝石が貼りついていた。
「何、ノワール?」
「…………」
似ていない。
ラピス以来、初めて出会った天魔族の女の子は、ラピスとは似ても似つかない容姿と性格をしていた。
本来、緑色であるはずの髪と瞳はノワールと同じ見事な漆黒。
力の象徴にして結晶である額の宝石は翡翠ではなく、ラピス・ラズリ……東方名で瑠璃と呼ばれる宝石だった。
まるで、何かの皮肉のように、彼女の名前には『ラピス』が含まれているのである。
ラピスとは石という意味で、ラズリは青や空を意味する……合わせて青い石(ラピス・ラズリ)と成るのだ。
ラピス・ラズリは、天空の欠片、青金石などとも呼ばれ、東方の七宝にも数えられ、西方の聖書の中にも聖なる石として登場する。
「星のきらめく天空の破片」、「海の向こうから来た青」……世界中の様々な呼び名がこの宝石の美しさと貴重さを称えていた。
また、「瞑想の石」、「神につながる石」といった呼び名が示すように、超自然的な力を秘めた石としても有名である。
つまり、本来、翡翠であるはずの額の宝石がラピス・ラズリ(瑠璃)なのは、天魔族の突然変異体である彼女の特異な強さを象徴していた。
おそらく、彼女は普通の天魔族とは桁違いの『力』を有しているのだろう。
宝石の神秘的な輝きと美しさの差が……『格』の違いを現していた。
「ふん、さしずめ超・天魔族か……?」
ノワールは苦笑と共に、本人に聞こえないように小声で呟く。
「ノワール?」
超・天魔族の女の子瑠璃は、いつの間にか、ノワールの代わりのようにベリドットに膝枕されていた。
「別になんでもない……それより、何か用か?」
「うん、フローライトが呼んでたから早く行った方がいいよ」
「そうか、解った……」
素っ気なく答えると、ノワールは、ラピスが現れた木々の間に入っていこうとする。
「ねえ、ノワール……いくら、ベリドットが君に優しいからって……変なことしなかったよね?」
聞き捨てならない言葉に、ノワールは足を止めて振り向いた。
「するか! ルヴィーラ兄上程じゃないが僕も『人形』は嫌いだ!」
「ああ、エルフと機械人形嫌いで有名だったルーヴェ最後の皇帝さんだね……ふふふっ、君のお兄様にベリドットを見せたら面白そうだね」
瑠璃はクスクスととても面白そうに笑う。
「やめておけ、エルフのメイド型の機械人形なんて一瞬で跡形もなく破壊される……兄上は嫌いな物はこの世に存在すら許さない……」
「あ、ベリドットを心配してくれるんだ? 良かったね、ベリドット、愛されてるよ、ノワールに」
「はい、嬉しいです」
ベリドットは素直に喜色満面な笑顔を浮かべた。
「まあ、愛情表現は大分屈折しているけどね」
「いえ、瑠璃様。ノワールさんはちょっとひねくれて素直じゃないだけです。でも、そんなところもとても可愛らしくて、私は大好きです」
「流石、解っているね」
瑠璃はベリドットの発言に、とても満足そうに微笑する。
「ふん……勝手に言ってろ」
ノワールはこれ以上話のネタにされては堪らないとばかりに、森の中へと消えていった。












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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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